先週、辻堂に行ってきました。
普段ROXYのフィットモデルもやってるヤマちゃんが「ROXY BEACH PARTY 2010」というイベントで体操のお姉さんを演じるというので、半分仕事、半分遊び。
今回初めてサーフボードと戯れてみたのだけど、
人がサーフィンにハマる理由がバッチリ理解できた。
最初なので腕で立って波に乗っかるのがやっとだったけど、
何度か練習すれば立てるんじゃないか、というほど、
波にのれたときの安定感だったり、キモチよさったらハンパない。
何度も失敗して、何度も波に飲まれて、カラダごとグルグルと回転しちゃうのだけど、
それすら海に包まれているようで、とてもキモチよかった。
ボクシングジムでガムシャラに練習するのも大好きだけど、
自然相手にその先を読んでみたり、自然に解けていく場も、
とても楽しく、そしてキモチが良い。
この夏、時間つくってまたチャレンジしてみたい。
我流じゃなくて、スクールに通ったほうがいいのかもな、とも思う。
というわけで、楽しみがまた一つ増えた。
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先日の連休最終日。
横浜のジャック&ベティに『アヒルの子』をみにいく。
育てられた環境の中で、自己が抱えてきたもの。
その混沌として漠然とし、釈然としないモノから脱却するために、
この作品の監督である小野さんは、そのモヤモヤの元凶と彼女自身が考える
「家族」に対し、真っ向から立ち向かう。
「前へ進まなくてはいけない」という衝動にも近い勢いで、
家族とブツかり、自己にむかって問いつめ、
また他者にブツかって、何が本当の自分であるかを問うていく。
スゴイと思うのは、その向き合い方。
家族にとったらカメラは凶器にも近かったはず。
突然カメラを向けられ、過去に起きた事実を暴かれ、
その映像がこうして公の場で、見ず知らずの他人に公開される。
もし本人の承諾がなければテロにも近い行為かもしれない。
それでも小野さんは撮らずにはいられなかったのだろうと思う。
撮らずには、この先生きられないくらいの覚悟や衝動があったに
ちがいないと思う。それくらいの想いがなければ、
こんな作品は撮れない。
その意味で『アヒルの子』は完全なるセルフドキュメンタリーだと感じる。
人が生きていく深さや、可笑しみやユーモア、悲しみや悔しさといった
普遍的な価値をシェアする意図で作られたものではないのかもしれない。
そういう印象は正直どこかにある。勿論、それが良いとか悪いとか、という判断はなく、
セルフドキュメンタリーで普遍性を伝えることの難しさだったりを同時に感じた次第だ。
でも、もし私が10代後半から20代前半でこの作品と会っていたら、
またちょっと違っていたかもしれない。
いずれにしても、小野さんが自己に抱えていたモノに対峙し、作品にしたことで、
何かしら彼女の救いになったのならいいなぁと思う。
できれば、そういう流れをつくったキッカケであって欲しいと思う。
総指揮を務める原一男さんの『ゆきゆきて神軍』も、
かなり後々ひきずった作品だったけれど、ドキュメンタリ作品は
見終わった後、しばらく心に小骨が突き刺さっさったくらいが丁度いい気がする。
ドキュメンタリ作品は完全なノンフィクションなどではないけれど、
人の心を動かす手法として、やっぱりドキュメンタリでしか
伝えられないことはたくさんある気がする。
小野さんの次作はどんな作品だろう。
ウォッチします。
きゅうり、トマト、なす、インゲン、じゃがいも。。。
これが、本当に美味しくてびっくり。
最近スーパーで買うきゅうりは、なんというか、
きゅうりってイッタイ、なんの栄養素があって、
なんのための野菜なんだろう?と
その存在意義すら疑ってかかっていたのだが、
姉一家が育てたきゅうりの歯ごたえやら、弾力、緻密さといったら、
もうすばらしい。
夜中のご飯がおいしい野菜中心で過ごせる、というのは
とても有り難いこと。
今度草むしりでもしにいかないとだな。
(なんとなく、口だけになりそうな私を許してください)
でもそれでも、
誰かのための行為は、
自分のためだけの努力だったり、
自分のためだけのがんばりより、
全然キモチのいいことだ。
自分がなにかをしている先で、
その人につながっていて、
もしかしたら、その人に喜んでもらえるかもしれない。
そんな何かを実現させて、そのドキドキやワクワクをシェアできるかもしれない。
できないかもしれないけど、
できるかもしれない。
そしたらやっぱり、誰かのためにやれること、
誰かのために生きること、生きれることは、
とても幸せなことだ。
結局それをしている自分が好きなんじゃん、と自問自答して、
結局そうなのかもしれないと思ってみても(違うと否定しても証拠がだせないし)
でも私が何を好きだろうと嫌いだろうと、手渡したものを喜んでもらえたり、
一緒に育てていけることは、この上なく幸せなことに間違いはない。
「誰かのための何か」を見つけた私は、
多分この上なく幸せモノだ。
有限会社 角仲林業様の新規サイトオープンのお手伝いをしました。
角仲林業さんは、私の叔父と叔母と従兄弟が経営する会社で
奥秩父でなめこの生産と販売、林業をしています。
今回、角仲林業さんの専務取締役で従兄弟の山中浩義さんから
サイトリニューアルのお話をいただいたのですが、小さい頃から
虫取りや川遊びをしてきた「ひろちゃん」と「なおみちゃん」の仲。
お互いお仕事としてお話をしたり、打ち合わせをしたりなどは
勿論はじめてで、なんだかとても新鮮でした。
お話をいただいてすぐに、角仲さんが今後どんな会社を目指されているのか、
何を大切にされているのか、なぜ今サイトをつくりたいのか、などのヒヤリングや
撮影を含め、全部で4〜5回工場へお伺いしました。
今になって思うと、その出張が私にとっては、
とても良い経験になったと感じます。
工場は秩父駅から車で30分くらいの大滝という場所にあり、
その送り迎えの車の中や、お昼ご飯(おばさんが用意してくれるお昼ごはんは
いつもおいしかったです!)を食べながら、ひろちゃんと色々な話をするなかで
見えてくることがたくさんありました。
田舎は静かでのんびりで、自然が素敵、人が優しい、、、
どれも当てはまることで、実際本当にそうなのだけど、
現実は厳しいこともたくさんあります。
それでも秩父で暮らし、その暮らしを楽しんで生きること、
なめこ工場や、林業の仕事を、地元や地域の人に貢献するようなカタチで
大きくしていくこと、そんな想いを語ってくれたひろちゃんを従兄弟ながら
誇らしく思ったりもしました。
角仲さんでは現在、「自然」と「人」に貢献する伝統木構造で、
実際家を建てているのですが、ひろちゃんの大工さんや棟梁への気遣い、
地元貢献の姿勢などを垣間みて、人って本当に助け合いながら生きているし、
そうあるべきなんだなと、感じました。
というわけで、ひろちゃんをはじめ、叔父さん、叔母さん、ひろちゃんの奥様、
工場のスタッフの方にも、撮影中に色々なご協力をいただき、
サイトができあがりました。
サイトから、秩父の自然の素晴らしさ(いろいろな現実問題を超えて、
文句なしに癒されます。今回それを感じられたことは私自身の収穫でもありました)
奥秩父で暮らす豊かさ、なめこの生産や林業について、
お伝えできたり、ご興味をもっていただけると嬉しいな、と思います。
ちなみに、なめこって
http://kakunaka-chichibu.com/service/nameko/
こんな風につくられてるんです。
ここだけの話、普通のソバになめこを加えるだけで
別モノになります。本当に美味しいです。
みなさんも、是非この夏にレシピに、なめこを加えてみてください。
今後も秩父からどんどん、秩父ならではの楽しく、自然豊かな情報を
発信してもらえたらと思います。
そして、それが地域や職業を超えて、色々なカタチで人との
つながりを生み出すものになっていくことに、力添えできたらと思います。
※手前が菊地さんで、奥が私。
昨日後楽園ホールで行われた菊地奈々子さんの
東洋太平洋女子ライトフライ級王座防衛戦。
結果は4RTKOで菊地さんの勝利。
1R〜3Rは距離と相手のリーチの長さで、若干苦戦気味な展開だったけれど、
4Rになって菊地さんのパワー炸裂。相手のディフェンスが甘くなった瞬間を
ガッツリとらえて懐にはいりこみ、最後は連打を浴びせてレフリーストップ。
本当に、本当に勝って良かった。
しかも豪快なTOKで。
試合の後はいつも思うのだけれど、絶対折れないキモチと粘り強いファイト、
そこからもらっているエネルギーや希望みたいなもの、計り知れないです。
菊地さん本当にありがとう!っていつも思います。
昨日のあのリングにあがるまでの日々、
どんだけの想いと毎日の積み重ねで
あの試合が成り立っているのか。
それを想像するだけで、泣けてきます。
ボクシングってその人の生き様だ。
すごいな、本当にすごいな。
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you tube
vimeo
主人公と主人公をとりまく人々それぞれが、
家族やその関係性に根深い悲しみや怒りを抱える人達。
暴力が自己表現として成立しているコミュニティの中で、
断ち切れない暴力の連鎖の悲劇に、言葉がでないほど心が痛かった。
国とか社会が抱えている問題を嘆く前に、
自分の家族だったり、身近な人との関係性を見直すことをしたいな、と思う。
でもそれすら難しい場合もあって、
だからこそ存在しつづける悲しみなんだな、と思う。
存在しつづける悲しみや痛みだからこそ、
共感するんだろうな。と思う。
(さらに詳細を知りたい方はtwitterの「#satosuda」で検索すると、他の参加者の方の中継やまとめサイトをみることができます。こちら!)
ではいきます!
会場は140名の参加者で満員御礼状態。
許可していただければ自分iPhoneでUstreamができるな、と思ったのですが、やはりそこは事前にNGのアナウンスが。
Twitterで#satosudaをつけながらの実況中継は大丈夫そうだったので何度かトライしました。
お二人がそれぞれの著作『明日の広告』佐藤尚之氏著、『使ってもらえる広告』須田和博氏著をお互いに紹介するという形式でトークが進みます。
固い話ではなく、ゆるい感じでのスタート(とはいえ、お話いただいた内容は示唆のある考えさせられる内容ばかり)。
以下、話題のポイント【】とそれに対して佐藤さん/須田さんの発言・意見。
【著書の中で「広告」に対して感じていることの共有認識】
・広告に対する危機意識
・広告の定義がそもそも変わってきている
・WEBを使えて当たり前
・(でも)WEB至上主義では全くない
・No Line(「クロスメディアという言葉は嫌い」by 佐藤さん)
伝えたい相手に伝わることが重要。その場合one mediaという可能性もある。
→メディアに線引きしない、という意味でNo Line
・佐藤さん(電通社員)須田さん(博報堂社員)お互いがライバルというより、
いまだ古い広告をしている人たちが共通の敵
【ソーシャルメディアについて(お二人とも鳩カフェに携わっている話の流れから)】
・ソーシャルメディアはまず、そこにいるユーザーの声を聴くことである。
ex:鳩カフェ
政治への無関心さが日本の色々なものをダメにしているという認識 by 佐藤さん
国民(twitterユーザー)側:鳩山さんが生身の人間であることを感じてもらう。
「切れば血がでる」という佐藤さんの表現。
鳩山さん側:まず「国民の声をきく」こと「傾聴」が最優先課題
【この2年で変わったもの(台頭してきたデジタルツール)変化した点】
〈台頭してきたデジタルツール〉
・twitter
・Ustream
・iPhone
総論:ソーシャルメディアはインフラ(メディアではない)
各論:〈twitter〉
・完璧にフラットでノードの状態(これぞインターネット、というツール)
→その意味でブログはまだトップダウンの情報発信
※ Ust/iPhoneについての言及はとくになし
〈変化した点〉
・プッシュ型広告/イメージ戦略の崩壊
→もはや「教える」「説得」など、上からのメッセージは伝わらない。
《須田さん》
・ユーザーが一番偉い
・人は人の紹介経由でないと見ようとしない(信じようとしない)
《佐藤さん》
・生活者本位=ネット茶の間
・「共感」=流通貨幣・価値になっていく。
【これからの広告について】
《須田さん》
・「広告→広場」:広く告げるではなく、話題となる広場をつくる。
:コミュニケーションの場をつくる。
《佐藤さん》
・PR(パブリックリレーション)をもっと考えるべき
PR(パブリックリレーション)=これまでのPUSH型広告、ネットのようなPULL型広告
その間に企業広報、戦略PR、自走式に広がるもの、全部含めてパブリックリレーション。
【これからの「広告」に必要なスタンス、資質、アドバイス】
《須田さん》
・企画力、それを具現化するテクノロジーがある人は強い 。
・クリエイティブならテクノロジーを勉強しないと。
《佐藤さん》
・資質/技能は考えてもしょうがない。それより「生活者視点」を持つことが大切。
・美味しいもの、映画、美術館(芸術)にもっと触れるべき。蛸壺にはいらないように。
《お二人共通》
・普遍性(ツールがなんであれ、人に響くものは普遍的なものである)
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個人的には本エントリーのタイトルに使わせていただいた、佐藤さんの「『共感』=流通貨幣・価値になっていく。」という言葉が一番心に刺さりました。
twitterの普及で情報発信の方向性が本当にフラットになったな、と私自身日々感じます。
その中で「資本」だったり「知名度」だったりに幅を効かせて、押し付けがましいコミュニケーションをとってこようとする相手(企業)に、誰が振り向くんだろう?(誰もふりむかない:反語)という想いが常々ありました。
だからこそ、個々の体験や経験を共有するような、五感に響くようなメッセージなりコミュニケーションがすごく大切なんだな、と思います。
それは勿論、狙ってやるものではあるけれど、できるだけその環境に馴染むもの、環境の一部と化しているものになってくるのかな、というキズキがありました。
あとは佐藤さんがweb至上主義でない点にすこぶる共感。webをつくればすべてが解決するなんてことは全くないですもんね。○○やればいい、とりあえず時代の流れで△▲に手をだす、というのでは、機能するものも機能しないと。その意味では、戦略をもった上でのwebであったり、twitterであると思います。
とはいえ、矛盾しているようであれですが、「とりあえずやってみる!」という姿勢もとても重要。佐藤さんがおっしゃったように、「やらないよりマシ」という心構えもデジタルツールを使っていく上ではとても重要だと思ってます。
今回のトークショーは、新しい意見や考えにガンガン触れた、というより、広告コミュニケーションについて常々おもっている漠然とした不安や疑問を、佐藤さんや須田さんと強く共有できたことがとても糧になりました。
最近はtwitterのすごさを身にしみつつも、リアルに人に会うことの大切さも身に染みているので、こうしたイベントに参加することはとても勉強になり刺激になります。
少なくとも「これでいいのかな?」と思うことを、「これでいいんだ!」と思えるようになるのはとても難しいことなので、それだけでもお二人のお話を聴けて非常に良かったです。
]]>「オレの周りにいる人間から幸せにしてやる」
強烈に覚えていて、しばらく胸に潜んでいたけれど、
最近ふとしたことでよく思い出す。
数字で計れる価値や、わかりやすい豊かさ、そんなものより、
自分の周りにいる人を幸せにできたら、自分が生きている意味が
少しはわかりそう。
それは、私にとっても意味のあること。
人の心に響いたり、届く何かを起こすことは、本当に難しいこと。
だから「幸せにする」なんてレベルまでいったら、奇跡かもしれない。
でも、そんな奇跡みたいなことに向かっていけるのは、とても心躍る。
だって、色々なことが変わるかもしれないんだから。
その変わる節目に立つことができるかもしれないんだから。
それは楽しくて仕方ない。
この上なく幸せなことだ。
]]>まだまだ実験段階だけど、
1.Ustreamのアカウント取得
2.iMacのwebカメラでブロードバンド放送
3.iPhoneアプリからブロードバンド放送
と、ここまで。
実際ストリーミングさせて映像は保存してアップしたので、以下でみれます。
ま、超どしろーとですがw
http://www.ustream.tv/recorded/5869640
以下、参考にしたサイトのメモ。
//USTEAM 使い方
http://www.dougamanual.com/blog/202/http://www.dougamanual.com/blog/202/
//勝間さん
http://www.ustream.tv/recorded/5807772
//ユーストリーム(Ustream)の使い方・活用法
http://matome.naver.jp/odai/2126509174198561801
//iPhone上で
http://blog.elearning.co.jp/?p=3677
//ManyCam
http://www.ariel-networks.com/blogs/tokuriki/cat36/cat37/manycam.html
勝間さんが紹介していたWebCamMaxは、PC画面をそのまま写しだしてくれるみたい。
用途によっては便利だけど、今はとりあえず必要なさそう。
コンデンサマイクは欲しいですね。
今後「Ustしたい」という方のために、購入してもいいかもな。
で、あとはコンテンツ。
これは、色々考えられそう。
ストリーミングするときは、ここでも告知します。
楽しみ&楽しみ。
]]>村上さんとは人身売買をベーステーマにした「No Traffiking Project」の際、
webを作らせていただいたこともあって、
日頃彼女が、何に対してどう感じ、それをどう表現していくかと
いったことを、これまで結構話しあってきた。
それだけに村上さんの12分の映像作品は、
私の中では全く違和感のないものだった。
今回新しいデジタルムービーカメラで挑んだ撮影なだけあって、
タイ北部ムセキ村の自然(子ども達がワークショップをする建物に
降り注ぐ夕日、土の色、背景)や、ワークショップをする子ども達の、
なんとも言えない微妙な表情を、とても繊細で深みのある表現に
紡ぎだしている印象があった。
なんというか、受けてにとって色々な捉え方のできる、幅のある表現。
それはとても作品を豊なものにしている気がした。
話は少し脱線するけれど、ちょっと前から自分の中でかなりアツい
『ルポ 貧困大国アメリカ』の中では、行き過ぎた資本主義社会を
強く批判している。終始批判の内容で構成されているので、
本を読んでいる間、そして読んだ後しばらくしても、
利益主義や合理主義に対して、ものすごい嫌悪感すらもつ。
「このままで良い訳がない」と強く思う。
でも、当の自分は資本主義システムの中でどっぷりと活動し、
そのシステムがなければ、自分自身生活できない状況の中にいる。
既存社会で色々なことが回っている現実の中にいて、
「既存システム反対!」と真っ向から強く思いつづけるのもまた、
現実的ではない一面もある。
とはいえ、それは強く思えない意思の弱さというより、問題の捉え方によって、
その問題との関わり合いは大分ちがったものになるという想像はできる。
だからこそ扱うテーマが深刻であればあるほど、
その伝え方がすごく大切だ、と強く思ったりする。
行き過ぎた合理主義や利益尊重主義に対して、
そこに身をおきながら、これに批判的でいつづけるのはどうしたらいいのか?
同様に、自分自身の身近にない人身売買に対して、
自分自身の生活を送りながら、どう意識をもち続けるのか?
当事者をリアルに伝えるセンセーショナル描き方なのか?
批判ばかりな伝え方なのか、そうではないのか。
そうではないなら、どうなのか?
伝え方、コミュニケーションの取り方に、「これがベスト」という方法はない。
それだけに、そこをとても慎重に、本当に手探りで進んでいっていることを、
村上さんの映像から感じた。
「これがベスト」がないからこその「手探り」。
それは生涯関わっていく作品も仕事も、おそらく人との関係にも、
通じることなのかも、と思ったりする。
「売り」の新刊をチェック、ビジネス書をチェック、業界本をチェック、
雑誌も一通り見るようにしてる。
(殆どの雑誌が紐にまかれて立ち読み禁止状態になっていて残念)
そして本のタイトルにもすごく興味があるので、そこもチェック。
チェックというか、自然に目がいってしまうのだけど、
ここにも「トレンド」があって結構楽しい。
予想どおりiPhoneにしてからというもの、モバイルから得る情報量はとても増えた。
以前の自分では想像できないくらい、モバイルがかわいくて、もう手放せない。
でも、本を買わない生活にはどうしてもなれないな、とも思う。
ベタベタだけど、本の温もりや、装丁のデザインだったり、
紙の質感だったり、持ち歩きたいという欲だったり、これだけ読んだという
達成感だったり。
昨日は松浦弥太郎さんの新刊を目にして、中身をちょっとパラパラさせて、
「これは私が読むより友達にあげたいな」と思った。
弥太郎さんの本はいつも、自分で読むより人にあげたくなる。
原研哉さんのツイートに、
「やはり「本」はいい。書物は祝福されたデータのかたち。現実の世界に物質として「咲いた」情報の花のようでもある。これを手渡したり、共有できることはこの上なく幸せだ。」
ってのがあった。
本当にそうだと思う。
]]>1月からのプロジェクト参加で、このところジムワークが週1のペースに。
週1だと、やっぱりカラダのキレが悪い。
1R3分の間、戦意を持ち続けるには最低週2は行かないと。
ということでサンドバックに、1R連打×3セットメニューを復活させてみた。
3分間ずっと連打していると、途中で意識が遠くの方にいくこと数回。
そんなときは声を出すと自分に戻ってくる。
というか、声ださないとキツいし、カラダのあちこちが痛く、
ラスト1分〜30秒とかは、ひたすらキモチだけの世界。
私の追いつめ方はまだまだだけど、たまにこういう状況に自分を
おいてみるのは、それはそれで意味のあることのように思う。
昨日のメニュー
シャドー4R ミット2R サンドバック12R(連打3R)
腹筋50×1+40×2 背筋50×3 拳立50×3 ストレッチ(念入り)
本日はこの曲をヘビロテで。
映画は特に見たい訳ではないんですが、Salyuの声が素敵すぎます。
月末まで(年度末か!)忙しい時間になりそうだけど、
こういう音楽があると、全然へっちゃらだよ。
がんばるべぃ。
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