関わりつづけること。
March 31, 2010 5:44 AM | Comments (0)
プリズムスケープフィルムで開催中の、村上さんの映像を見に、
そして軽くではあるけど近況報告含め四谷三丁目に。
村上さんとは人身売買をベーステーマにした「No Traffiking Project」の際、
webを作らせていただいたこともあって、
日頃彼女が、何に対してどう感じ、それをどう表現していくかと
いったことを、これまで結構話しあってきた。
それだけに村上さんの12分の映像作品は、
私の中では全く違和感のないものだった。
今回新しいデジタルムービーカメラで挑んだ撮影なだけあって、
タイ北部ムセキ村の自然(子ども達がワークショップをする建物に
降り注ぐ夕日、土の色、背景)や、ワークショップをする子ども達の、
なんとも言えない微妙な表情を、とても繊細で深みのある表現に
紡ぎだしている印象があった。
なんというか、受けてにとって色々な捉え方のできる、幅のある表現。
それはとても作品を豊なものにしている気がした。
話は少し脱線するけれど、ちょっと前から自分の中でかなりアツい
『ルポ 貧困大国アメリカ』の中では、行き過ぎた資本主義社会を
強く批判している。終始批判の内容で構成されているので、
本を読んでいる間、そして読んだ後しばらくしても、
利益主義や合理主義に対して、ものすごい嫌悪感すらもつ。
「このままで良い訳がない」と強く思う。
でも、当の自分は資本主義システムの中でどっぷりと活動し、
そのシステムがなければ、自分自身生活できない状況の中にいる。
既存社会で色々なことが回っている現実の中にいて、
「既存システム反対!」と真っ向から強く思いつづけるのもまた、
現実的ではない一面もある。
とはいえ、それは強く思えない意思の弱さというより、問題の捉え方によって、
その問題との関わり合いは大分ちがったものになるという想像はできる。
だからこそ扱うテーマが深刻であればあるほど、
その伝え方がすごく大切だ、と強く思ったりする。
行き過ぎた合理主義や利益尊重主義に対して、
そこに身をおきながら、これに批判的でいつづけるのはどうしたらいいのか?
同様に、自分自身の身近にない人身売買に対して、
自分自身の生活を送りながら、どう意識をもち続けるのか?
当事者をリアルに伝えるセンセーショナル描き方なのか?
批判ばかりな伝え方なのか、そうではないのか。
そうではないなら、どうなのか?
伝え方、コミュニケーションの取り方に、「これがベスト」という方法はない。
それだけに、そこをとても慎重に、本当に手探りで進んでいっていることを、
村上さんの映像から感じた。
「これがベスト」がないからこその「手探り」。
それは生涯関わっていく作品も仕事も、おそらく人との関係にも、
通じることなのかも、と思ったりする。

投稿者nF4 : March 31, 2010 5:44 AM
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