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週末事項

January 24, 2010 7:08 PM | Comments (0)

お昼に美容院に髪を切りにいって、
その帰りに病に伏しちゃったYちゃんに
広島お好み焼きの差し入れをした。
(広島スペシャルと高菜焼きそば。ネギたっぷりで、キャベツもたっぷり。)

Yちゃんに会うと、やっぱり元気はない。熱も高かったみたいだし、当然。
でも、体はかなりつらいはずなのに、
当の本人はマスクに犬のひげと口とか描いちゃったりして、
弱っているときにこのマインド万歳だわ、と思う。

人をアゲル、喜ばす仕事をしてる人は、これくらでないとだめなのかも、と思う。
そういう意味で、友人ながらあっぱれだ。
でも、ちゃんと完治してから仕事にカムバックして欲しい。
そういう声がBLOGのコメントにもたくさん来ていて、
「早く復帰してほしい」という声ではなく、
「ちゃんと完治させてから戻ってきて」という声に心があたたまる。

だからそうなるように祈るのみ。
彼女にとっては普通に「シンドイ」が「かゆい」くらいでしかなさそうなのだけど、
本当にカラダを大切に。お願いしますよ。

午後はもう一度『鬼畜』をみる。
18時にNちゃんと新宿で待ち合わせをしていたので、
途中までしか2度見できなかったが、自分が何に対して痛いと感じるのか、
役者や演出だけに反応してないか、なんかもう一度確認しておきたかった。

児童虐待を通じて切っても切れない親子の絆を描いた、とされる『鬼畜』は
1978年に公開されているけれど、児童虐待の現状は今もまだ社会問題として
全然ある。全くなくなってなんてない。
あんなセンセーショナルな描き方をされても、
作品を通じて訴えても、社会からはなくなろうとしない。

あの作品をみて、緒形拳扮する「宗吉」の女ったらしぶりや、
人としてのだらしなさや、親としての無責任さとか、
総じた駄目っぷりを批判することは、簡単だ。
宗吉がしっかりしてさえいれば、起こらない悲劇ではないか、と簡単に思える。

でも、世の中に宗吉はたくさんいる。
岩下志麻的「お梅」も、小川眞由美扮する「菊代」も、たくさんいる。

私もある部分では彼らと同じかもしれない。
人としてだらしないことに、全くその可能性がないなんて、
誰も言えないと思う。
だってそれが人間だから。

だから、そういう人間のむきだしの欲望を押さえたり、
ある欲望は尊重さえされて、でもそれに傷つく人の存在を見ないように、
存在しないように過ごすことで、
いつまでたっても傷つく存在がなくならないことに心が痛いんじゃないかと
思ったりする。


1度目にみたときに、ちょうどハイチの震災の様子を
CNNのオンラインニュースで目にしたのだけど、
その様子を「人レベルの力ではどうしようもない悲劇」と重なる感じがしたのは、
だからかな、と思う。


で、そんな感情をひきずりながらNちゃんと会う。
多分Nちゃんと会って話をしたから、『鬼畜』について
自分が何に痛いと感じたのか、言語化できたんだと思う。

Nちゃんとは、人の欲望についてのあれこれ、キューバであった出来事について、
その他色々話す。いつも思うけど、彼女と話すと自分がとても
世俗的な世界に馴染みやすい体質であることを感じさせられる。

やっぱり作家という人の考えることは、ちがうよな、と思う。

アバターやらマイケルムーアに吠える、その理由をちゃんと聞けてよかった。
そして強烈に見ることを勧めた『THIS IS IT』をちゃんと見ていてくれて、
(絶対見ないだろうな、と内心思ってたんだけど)感想まで伝えてもらえて、
嬉しかったです。


明日からまた一週間がはじまるけれど、一日一日、
瞬間も大切にしたい、というか、しないと。

投稿者nF4 : January 24, 2010 7:08 PM

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